親の離婚と、私の心の変化――今だから言えること」

私のこと

はじめに

私の親が離婚したのは、私が3歳のとき。

正直、そのときのことは、なーんにも覚えていません。

ただ、いつもとは違う紙皿によそわれたカレーの味だけが鮮明に残っています。

きっと、引っ越しの夜に、おばあちゃんが用意してくれたレトルトのカレー。

どうしてか、すごく美味しかった。

そんな小さな記憶だけが、ぽつんと心に残っています。

親の離婚――それは、子どもにとっては言葉で説明しきれない「心の揺れ」を生む出来事です。

けれど、その揺れは、静かに、深く、長く、心に残っていくものでした。

幼い頃の記憶と変化

兄は当時5歳。しばらく幼稚園に行けなかったと聞きました。

でも、私は「お母さん!」と泣いた記憶すらありません。

幼稚園に入ってからの「母の日」に、父親の絵を描いた記憶があります。

クラスでひとりだけ、父親に抱かれた写真。

その中の私は、なんとも言えない表情でこちらを見つめていました。

そのころから、「みんなと少し違うんだな」という感覚が、

言葉にできないまま、心の奥に積もっていった気がします。

思春期の心の葛藤

思春期になると、「家庭の違い」がよりはっきり見えてきました。

どこかで、「自分はちゃんとしていない」「足りていない」と思ってしまっていたのかもしれません。

高校受験には成功し、県内でも上位の進学校に入学しました。

でも、それまで学年トップだった私の順位は、あっという間に3桁に。

成績だけでなく、容姿や性格にまで自信をなくしてしまい、

まわりと比べては、自分を責める毎日でした。

人前に立つことがとにかく怖くて、授業中の発表で声が震えるたび、

前の席の子に「大丈夫?」と声をかけられる。

その優しさすら、「自分はおかしいんだ」と思わせるきっかけになっていました。

心を閉ざした時期。

誰にも見せたくない自分が、確かにそこにいました。

それでも得られたもの

でも、大人になって振り返ってみると、

私には「なかったもの」だけじゃなく、「与えられていたもの」も、ちゃんとあったことに気づきます。

母親はいなかったけれど、

私には、いつもそばにいてくれたおばあちゃんがいた。

どんなときも味方でいてくれた、友達がいた。

不器用でも、父は私たちを一生懸命育ててくれた。

家族の形は少し違っていたかもしれない。

でも、私はちゃんと愛されて、育っていたんだと思います。

今の自分と、過去の自分へ

そして今、私は母になりました。

「母親って、どういう存在なんだろう?」

その答えを知らないまま、子育てをしています。

でも、ふとした瞬間に思い出すのは、

おばあちゃんの優しい声や、少し湿った背中、

仮病を信じて海鮮丼を買ってきてくれた、あの優しさです。

「どう育ったか」よりも、「どう愛されたか」

それが、今の私の育児の根っこになっています。

親の離婚は、確かに子どもに影響を与える。

でも、それが「不幸な人生」を意味するわけではない。

むしろ私は、人の痛みに敏感でいられるようになりました。

過去があるから、今の私があります。

最後に

家族のかたちは、人それぞれです。

「こうでなきゃいけない」なんて、本当はどこにもない。

もしかしたら今、あなたも誰にも言えない思いを抱えているかもしれません。

でも、どうか忘れないでください。

あなたは、あなたのままで大丈夫です。

違う経験をしてきたからこそ、

きっと、誰かに優しくなれる力を持っているはずだから。

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