
「“お母さん”って、どんな人だった?」と聞かれて、私はいつも少しだけ答えに詰まります。
私には、母のような存在がいました。それは、祖母――“おばあちゃん”です。
私がまだ小さかった頃、両親は離婚し、父と祖母、祖父、兄との暮らしが始まりました。
父は仕事で家を空けることが多く、私はほとんどの時間をおばあちゃんと過ごしていました。
幼稚園の送り迎え、ご飯、お風呂、夜の絵本…
子どもだった私の日常のすべてが、“おばあちゃんとの時間”でした。
朝ごはんは、ご飯と味噌汁、そして目玉焼き。
パンはめったに出てきませんでした。目玉焼きの横には、よく炒めたキャベツが添えられていて、あの香ばしい匂いは今でも忘れられません。
車の運転はできないおばあちゃん。
いつも自転車で私を送り迎えしてくれていました。
後ろの補助椅子から見えた、ちょっと湿った背中――
あの景色を思い出すと、今でも涙が出そうになります。
私が仮病を使った日、おばあちゃんは何も聞かずに、大好物の海鮮丼のお弁当を買ってきてくれました。
「理由なんて、聞かなくても分かってるよ」っていう、あのやさしさ。
友だちの“ママ”の姿に、少しだけ羨ましさを感じたこともありました。
でも、ありがたいことに、周りの子たちが嫌味を言ってくるようなことはありませんでした。
高校時代も、おばあちゃんは毎日お弁当を作ってくれました。
決して華やかなお弁当ではなかったけれど、私は毎日それを受け取って、黙って食べていました。
正直、可愛いお弁当が羨ましかったこともあります。
それでも、今になって思います。
あの頃の私は、誰よりもたくさん“愛されていた”んだって。
今、私は家庭を持ち、母になりました。
「母親像」がわからないまま育った私にとって、育児はいつも手探りです。
でも、子どもに触れるたび、ふとした瞬間に思い出すのは、おばあちゃんのあたたかい声や背中です。
おばあちゃん、私、今お母さんになってるよ。
ちゃんとできてるかは分からないけど、あなたにたくさんの愛を注いでもらった私は、「人を愛すること」を知っている。
だから、大丈夫。私は大丈夫。
ありがとう、おばあちゃん。
家族のカタチは、人それぞれです。
「こうあるべき」じゃなくて、「こうだったからこそ」気づけたことがあります。
人と違うことに、不安や劣等感を抱えていた私だからこそ、今の私がいる。
マイナスの経験が多かった人ほど、誰かにやさしくなれると、私は信じています。