私は幼い頃に親が離婚しました。幼稚園の頃はまだ状況もよくわからず、正直それほど辛くは感じていませんでした。ただ、どこか心の中にモヤモヤした気持ちがあったのは確かです
高校時代になると、そのモヤモヤが少しずつ形を変えました。特に嫌だったのは、周りのみんなが私に気を遣いすぎること。友達はみんな優しく接してくれましたが、それがまるで「ハレモノ扱い」のように感じられて、本当は普通に、自然に接してほしかったのです。
もちろん、それは私へのみんなの優しさ。わかっています。そんな風に気を遣ってくれる友達が大好きです。でもぬぐい切れない私の奥底にある潜在意識が言うことを聞きません。
例えば、お弁当の話。周りの子たちは色鮮やかでバランスの良い、若いママが手作りしたようなかわいいお弁当を持ってきているのに、私のお弁当は地味で目立たず、銀色のアルミカップにおかずが入っているだけ。そんな違いが、余計に自分の環境の違いを感じさせました。
当時は自分に「片親」というレッテルを貼り、それを背負って生きていかなければならないと感じていました。特に女子として成長していく高校時代は、周囲の目が敏感になり、劣等感の塊のような毎日でした。これで細くてかわいければまた違っていたかもしれません。私は何の変哲もない、成人式でも「変わらないねー!!」言われるようなあか抜けない女子だから。
大学時代には、自分の生きる価値がわからなくなるほど落ち込み、あまり表現したくない言葉ですが死にたいと思うこともありました。人前で話すことが怖くて震えが止まらず辛い学生の日々。
周りの目が気になる。声が震えすぎてまた誰かに「大丈夫?」って言われないかな。。。苦悩の日々でした。
そんな生活に嫌気がさし、学生時代に買ってもらったパソコンで色々調べ、、、【緊張 治す方法 動悸 パニック】ついには精神科を受診しました。
「社会不安性障害」
お医者さんから告げられた言葉です。
「病気だったんだ・・・」、私はショックでも不安でもありませんでした。逆にホッとしたんです。
社会不安性障害とは?
「人前で話す」「知らない人と会う」「注目される」などの社会的な場面で強い不安や緊張を感じる心の病気です。普通の緊張とは違い、その不安と恐怖が日常生活に支障をきたすほど強くなり、声が震えたり、体が震えたり、動悸が激しくなったりします
私の場合は、授業や発表の場面で声が震え、首が固まってしまい、心臓が飛び出しそうなほどの緊張に襲われました。普通に話せない自分に戸惑い、「これっておかしいかもしれない」と思い、病院へ行く決意をしました。
病気であることがわかれば、治療も可能だと希望が持てました。今は薬も使っていません。緊張しなくなったわけではありません。こんなに緊張するのは自分がいけないからだと自分を卑下する気持ちがうすくなり、少しずつ少しずつ自信を持てるようになったのです。私は結婚に逃げた部分もあるのでまだまだその問題にはきちんと勝敗はついていません。でもあの時病院へ行ったあの一歩は大きな大きな一歩でした。
同じように悩んでいる方に伝えたいのは、「あなたは一人じゃない」ということ。絶対に明るい未来を開けるんだということです。自分の力で。辛い体験をした人はその分人に優しくなれます。ずっと順風満帆で来た人には得られないパワーです。
結婚に逃げた私が言っても説得力ないですが、でも今のなんの変哲のない日常がこの上ない私の幸せです。
感じ方も人それぞれ。片親であることや劣等感、恋愛や生きづらさなど、どんな辛さも必ず誰かに分かってもらえる日が来ます。私の経験が少しでも誰かの力になればと願っております。